ひきこもり ―自分の場合― その4 [ひきこもり 2]
ひきこもりの人のブログを読んだり、心理関係のサイトを見ていて、新たに気付いたことなど、この機会に心の整理をしたくなりました。
ひきこもり ―自分の場合― その3 [ひきこもり 2]
人と話をすることがようやくわかりかけた感じでした。
自分を話せなくしていたのは「こう話さなきゃいけない」「明るくないといけない」という自分の思い込みや"努力"でした。
"努力"していたから話せなかったのです。
「生きていく力」だと思うもの [ひきこもり 2]
「ちゃんとできないと誰も助けてくれない」最初の段階で刷り込まれた言葉です。そうしないと生きていけないと思いました。
実際そういう言葉ばかり言われてきました。「自分で考えたらいい」「そんなこともわからないの?」
「何を甘えているの?」
怒られたり否定されたりするのは、自分がだめだからで、そのままの自分でなく「いい子」にならないと受け入れてもらえない。
ひきこもり ―自分の場合― その2 [ひきこもり 2]
当時、一番つらいのは話せないことでした。学生時代から自分で自覚していて、それなりに悩んでもいましたが、何を話したらいいのかわからなくて、すぐに沈黙してしまい、友達といるのも気まずくなってしまいます。
話せなくても、授業さえ聞いていれば、学校生活で困ることはそんなにありませんでした。いじめとかもなかったし。どうすればいいのかわからないまま、何もなく過ぎてしまいました。
でも、社会に出れば「話せない」じゃすまないのです。そう思うとパニックになって、仕事に行くだけで涙が出てきます。
話せないだけでなく、周囲の話を聞いてもほとんど理解できないのです。
例えて言うなら新幹線に乗っているみたいなものです。景色が何か赤いものが見えたけど、はっきりとわからない。次々いろいろな景色が目に入っても、全部素通りして、頭の中には何も残っていない。一日終わってもふらふらで、何とか迷惑かけないで終わった、というそれだけ。
毎日が、何ていうのか言葉の通じない外国にたった一人でいるみたいな感じでした。
職場は悪い雰囲気でなかったし、嫌な人もそんなにいなかったので、一年、二年・・・とやってこれて、四年目ぐらいに、少しずつ考えたりする余裕も出てきました。いったいどうして、自分は他の人と同じようにできないのだろう。いつからこうなったのだろう。
そうして、自分でも無意識に封印していた記憶が少しずつよみがえってきたのです。
ひきこもり ―自分の場合― [ひきこもり 2]
昨日24日の新聞に「引きこもり若者69万人」という見出しが出ていました。
ひきこもり、と一言で言っても、範囲が広いし、状態も人それぞれだと思うのですが、いい機会なので、自分のことを少し書こうと思います。
私の場合、はた目には、あまりわからなかったのではと思います。仕事に行って、形だけは社会参加していたからです。でも実際には一言もしゃべれませんでした。
仕事上のことを話すのも、仮面をかぶって、思いっきり背伸びして、勇気をかき集めて、やっと話せるような状態でした。雑談といったものは、余裕がなく全くできませんでした。
聞かれたことに答えるだけで精一杯でした。