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親子関係 [ひきこもり 2]

1月もいつの間にか終わりです。精神的に絶不調でした。(今は落ち着いた)
いい機会かと思うので、また「こころ」のことを少し書こうかと思います。

実家へ行く用事が昨年から少しあって、(職場での心の傷とリンクしたのか)母に対する葛藤が復活して、気持ちを立て直すのも、しんどいぐらいでした。(自分の場合、無理に奮い立たせるとかせず、そのままにしておく)

20年前に謝ってもらって(その後はほとんど話さず)母がいくらか変わったと思ったのは間違いで、思っていた以上に、根本的なことは何もわかっていないことがわかったのでした。
母は考えることが、自分の感情自体が自覚できない感じだ。全然違う受け取り方をする。
自分を否定したまま生きてきたように思える。

前に読んだ「子は親を救うために『心の病』になる」の中に出てきた「心理システム」という言葉を思い出しました。

子は親を救うために「心の病」になる (ちくま文庫)

子は親を救うために「心の病」になる (ちくま文庫)

  • 作者: 高橋 和巳
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2020/01/31
  • メディア: 文庫


虐待を受けた子は、欲求を我慢して、自分の存在を確認する。

そして、逆転した存在感は、異なる心理システムを作り出す。

どう話せば私の気持ちがわかってもらえるかと思っても、母を責めると言って、耳をふさぐ。自分の中だけで決めつける。何十年たっても、私が子どもの頃と全く同じ言葉を話す。


「8050問題」を考えてしまった。
自分の家庭だけでなく、同世代の親はそういう考え方で育った人が少なくないのではと思ってしまった。それはそのまま子どもに教えられて、自分というものを作れなくて、生きづらくなるのではないか。(実際自分はそうだった)(同世代の同僚が二人、少し似た家庭環境で、考え方が私の母に似ているような人がいる)

親と話すなんてあきらめた方がいい。

昨年、雑誌「AERA」で「8050問題」をとりあげていた。
中高年のひきこもりが61万人だという。
自分がブログを始めた頃、若者のひきこもりが69万人、という見出しを書いていた。
約10年前だけど、わりと近い数字だ。

当事者の声や親とのやりとり、関わりが書いてあったが、自分が苦しんでいた30年前とほとんど変わらない。
”声”を聞いたり、”心”を見ようとしない。
社会の偏見、「怠け者」「甘えている」という見方も、全然変わっていない。

お金にならないボランティアというのも、自分も親に言われたことがある。
意味がないと言って否定される。誰も似た感じだなと思ってしまった。

上記の本「子は親を救うために―」の本の第一章のタイトルが「息子は親を救うために引きこもった」だった。

子が本当にわかってもらいたい気持ちは何か、それを考えないといけない。それが見えれば暴力は止まる。

この言葉が全ての親子関係の本質に思えます。(暴力という言葉は「ひきこもり」や「心の病」にも置き換えられる)



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