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ひきこもり ―自分の場合―  その3  [ひきこもり 2]

人と話をすることがようやくわかりかけた感じでした。
自分を話せなくしていたのは「こう話さなきゃいけない」「明るくないといけない」という自分の思い込みや"努力"でした。
"努力"していたから話せなかったのです。

一番最初に植え付けられた「ちゃんとできないと誰も助けてくれない」という、完璧主義の母の呪縛や強迫観念から、ようやく逃れつつありました。

でも、やっぱり(仕事では)十年以上、母とは二十年近く付き合った後遺症みたいなものは、一年ぐらいでは簡単にはなくなりません。
積み上げてきた時間が違いすぎます。

この頃だったと思います。社会的にも"ひきこもり"という言葉を聞くようになりました。
新聞で第一人者(?)の斎藤環さんの名前を知ったのもこの頃でした。
自分も(外見は違いますが)それなのかなと思った最初だと思います。

テレビのニュース番組でも取り上げられて「誰だって生きていくのはしんどいのに、甘えている」というような、番組の人のコメントに「ああ、やっぱり」と思ったのを覚えています。
(テレビに出られて普通に話している様子で、"本当の(?)ひきこもり"なのかと私も少し疑いましたが)
知識人(?)でもそういう認識しかないのに、普通の人(?)なんて到底理解してもらえないと思いました。(新聞で自分と同じようなことが書いてあるのを、母に読んでほしいと言ったこともありますが面倒くさそうに読んで「わからない」と言われただけでした)

時期的に違うかもしれませんが、(テレビか雑誌で)精神科で大人の人が医師に抱っこされているのを見たことがあります。
要はそうして「赤ん坊から育て直す」というようなことだったと思います。
自分も同じようなものかもしれないと思いました。

自分は育てられていない。生きるのに必要な一番根っこのものが与えられていない。
身体で言えば「水」のようなもの。それは多分「愛情」という名の水かもしれない。
そんな大げさなものでなくても、人と(家族とさえ)「"楽しい時間"を過ごした」ことがほとんどない。

当時は言葉に上手くなっていないけど、それが以前、本で読んだ「愛着」だったのかなと思います。
水を与えてもらっていないから、自分でその「水」を補給しないと生きていけない。(それは趣味とか、うれしかったことでプラスの感情を貯蓄するようなものだったと思います。でも、つらいことが多いと、どんどん流れていくみたいな)
自分の"水"に精一杯で、人にそれを与える(人間関係を築く)余裕なんてなく、活動(仕事)するのがしんどい。

水を与えてくれたら生きていけるのに「甘えている」と言って母は(世間も)非難する。
それは飢え死にしそうな人に「頑張って」と言葉だけで励ましているのと変わらず、何の役にも立たない。
言葉より、黙って水と食べ物を差し出してくれたら救われる。
それは話を聞いてくれること。自分の側にいて一緒に楽しい温かい時間を過ごすこと。
そうしたら、活動する(人と話す)元気も出てくる。

仕事にも行けるようになって、(90度ぐらい?)変われたと思ったのですが"孤独"でした。

 

 

 

 


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