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ひきこもり ―自分の場合― その4 [ひきこもり 2]

コロナ自粛で家にいると、本来の自分になって(?)心が内に向かいます。
ひきこもりの人のブログを読んだり、心理関係のサイトを見ていて、新たに気付いたことなど、この機会に心の整理をしたくなりました。


(本当は職場で私をいじめた人が、私の母と言動が重なって心のもやもやが復活したせいなのです。)


以前、「モラル・ハラスメントの心理構造」という本を読みましたが、その時書きとめていた言葉が自分に重なります。


いつも楽しくない。いつも人の言葉に脅える。プレッシャーを感じる。

人と心が触れていない。

この「人」というのは、そのまま私の母だ。
思い起こせば、人生の最初から母の前で自由に動けなかった。完璧を求めるので、母の目にふれないところで「練習」して、母の前で「怒られない自分」を無意識に作っていた。余計なことをして動かない、話さない、というのも普通になっていった。

母はずっとイライラしている。怒ると一週間ぐらい口をきかないことがあった。小学一年生の頃だったか、最初のいたたまれない、居場所がない、という気持ち(子どもなので言葉で表現できないが)が、その後ずっと無意識に心に残ったというか、自分の根本になった気がする。


モラル・ハラスメントの被害者は無実の罪に苦しめられている人である。
子どもの心に手錠をかけて束縛しながら、子どもには感謝することを強制している。
子どもは何が何だかわからなくなる。そうなれば一人の世界に引きこもるしかない。

小学低学年頃だったか、誕生日のプレゼントをもらえないことに文句を言ったことがある。母は「どうしてそんなことしないといけないのか?誕生日は親に感謝する日だ」と言われたのを覚えている。

小学三年生頃だったか、何が欲しいか聞かれて、別に何もいらないというか思いつかなかった。(当時の自分は本ばかりだったと思うが)
その時思ったのは(本心は)「『怒らないお母さん』が欲しい」ということだった。

同じ頃だったか、友だちの誕生日会によばれたことがある。他の子はこんなことをして祝ってもらえる、こういうのが普通だということを初めて知った。でも、自分の心にあったのは、何か粗相をして母の耳に入らないかということばかりで、「楽しむ」なんてほとんどできなかった。

最初から感情を抑えたり、話を(気持ちを)聞いてもらえない環境だったので、心の病(対人恐怖)やひきこもりになる可能性は既にあったのだと気付いた。

(続く)


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