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ひきこもり ―自分の場合― その5 [ひきこもり 2]

「ひきこもり」前回の続きです。

以前読んだ本「モラル・ハラスメントの心理構造」の中の言葉が自分に重なります。


自分の感じ方や自分の意見が、親の感じ方や意見と違うことが恐ろしい。

小学4、5年生頃だったか友だち(近所の同級生)が遊びに誘いに来て、母は断ることを無意識に強要していた。友だちを選ぶか親を選ぶか、みたいなことを意識して、親を選んだことを覚えている。母の機嫌を損ねる方が嫌だった。
着る服さえ母が好みを押し付けるのは普通だったのだ。

美徳に対しては怒りや憎しみを向けることができない。
生きるエネルギーがなくなる。生きるエネルギーがないからささいなことをものすごいことに感じる。

何を話しても聞いてもらえない。「正しい」ことを訂正される。教科書通り、母が気に入ることを話すことを強要する。
嫌なことやつらいことを話したら、反対に怒られる。本音を話したり感情を出すことは悪いこと、というメッセージを受けたのと同じだった。
感情は吐き出されないまま、どんどんたまっていく。

高校生の頃だったか、どんなことか忘れたが、相談があったのか聞いてもらえなく、すごく怒っている。母は無視して平然と掃除をしている。自分の子どもより掃除の方が大事なのかと言っても、相変わらず返事もしない。掃除を終わると、まるで何事もなかったかのように、私の話なんて最初から聞いていないそぶりで、機嫌が良くなっている。

「親なんて最初からいないものと思ったらいい」と普通に、きっぱり言われていた。

生きるエネルギーは人とかかわりあう、人と触れ合うことで生じてくるが、内にこもるから、生きるエネルギーの供給源を断たれている。

家庭内のことを外で話してはいけないように、子どもの頃から言われていた。生きるエネルギーがなくなっていっても、母がおかしいなんてわからなく、実際言っても、ますます私が責められるばかりだった。
何が正しくて何が間違っているのか、わからなくなっていた。

モラル・ハラスメントほど心の自立を妨げるものはないだろう。
頑張ろうとしても心の砦がなくなる。

親との感情的なつながりや絆といったものがほとんどないのだから、他人との普通の人間関係もわからない。
友だちと表面だけ合わせていても、心は空っぽというか何の実感もないのでした。





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