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支えになった言葉 その3 [ひきこもり 2]

10月になって、あっという間に寒くなってきました。
読書の秋ですが、仕事が忙しくなってあまり進みません。

(なので)今回は久しぶりに自分の記録です。


支えになったというより自分の気持ちに気づいたり、考えたりできたことです。(他の人にはあまり関係ないと思いますが・・・)

新聞のコラムで書きとめていた言葉。(2006年)

母と娘の確執による事件から、普通以上の密着関係が見られることで、精神過程が自分と同じように思えた。

母親の過干渉に同調し「よい子」を演じる。
なぜ「よい子」を演じるかは幼少の頃から母親の不安やいら立ちを感じていたからだ。

母親の”偽りの達成”に同調してきた娘は、つまり”偽りの自己”を長年演じるわけだから、当然、真の自己が形成されない。
自分という存在が形成されていないという不安な状態に落ち込み、その原因を作った母との激しい葛藤が始まる。
”自分がない”という根源的な不安に落ち込んでいる。

母との関係がわかると、自分の気持ちも整理しやすくなった。
自分の感情が確認できると、他人との人間関係でも、感情がコントロールできて、必要以上に落ち込んだり、悩んだり、考えなくてもいい部分がわかるようになってきたように思う。


ある少女の言葉。

「母はわたしそのものを見てはいませんでした。自分の理想だと考えるお人形のぬいぐるみをわたしに着せて、それを見ていたんだと思います。母が見つめれば見つめるほど、わたしはぬいぐるみの自分になってしまう。
それは子どもの存在に関心がないネグレクトと一体どこが違うのでしょうか。」

(過去の)自分の気持ちにぴったりの言葉だった。


同じ年(2006年春)に新しい心の病(?)「社会不安障害」(SAD)について載っていた。

定義(?)は
「引っ込み思案」に見えて全く違う。
「恥ずかしがり」に見えて全く違う。
「人間ぎらい」に見えて全く違う。
「性格の問題」に見えて全く違う。

新聞の広告だったように思うので、この頃から、心の病というのが増えたり、社会一般に認知されてきたのかなと思いました。


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