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支えになった言葉 その2 [ひきこもり 2]

いつの間にか3月になっていて、苦手な寒さもやわらいできました。
前にドラマ「ミステリと言う勿れ」について書きましたが、ドラマが始まってからすっかりはまってしまって、出られなくなった(?)感じです。

原作の改変は気になるところはあるが、ドラマとしておもしろいので許容範囲です。
以前も書いたのですが、演出(映像)がすごく良くて、せりふにないドラマが見えるようです。原作を生かした脚本も上手いと思う。
第7話にもう泣いて、引きずって、現実生活に頭を切り替えるのも少し時間がかかりました。俳優さんの演技も素晴らしくて、ドラマを見て何年ぶりかで感動しました。


そんなわけで(?)ネタもあまりなく、前回の続きです。
今回は支えになったというより、気付かされたり、考えさせられた言葉です。

「無力感の学習」
自分の許容範囲をこえた課題を与え続けられると、無力感を学習して、それ以上を受け付けなくなるそうだ。


子どもの早期教育についてだったか、文字を覚えさせるより話し言葉の方が大切だということ。入学前に学力があったとしても早く詰め込んだというだけで、成長した時点では何の意味もない。

子どもがキレるのは、テレビなどの影響ではなく、言葉の貧困で感情をコントロールできないということ。赤ちゃんは言葉を話せず泣き叫ぶしかないのだが、それと同じで、その欲求が自分でも認識できず伝えることもできない若者が刃物を取るのだと。

(2005年に読んだ「なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか」という本の中からのメモ)


同じ頃に新聞のコラムだったかで「近頃のタチの悪い事件や犯罪のほとんどは、コトバが切れたところから生まれている」というものを書いている。


自分の今の職場でも(コロナの自粛期間というだけでなく)、コミュニケーションが難しい。(一方的)
仕事がやりにくいと陰で悪口を言ったり、文句を言うだけの雰囲気で「やりにくいからこうしてほしい」みたいなことは誰もあまり言わない。以前は自分には伝わらないまま、突然いじめられた。自分としてはどうしてこれぐらいのことで人にあたるのか?と思ってしまうし「自分を傷つける人」「苦手な人」という捉え方で、ますます話せなくなる。コミュニケーションがわからなくなった。

今は当時よりもっと「コトバが切れている」ことを思ってしまいます。








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