最近の読書 2017年秋 ―覚え書― [本(小説)]
暑さもやわらいですごしやすくなってきました。
最近、女性作家の本を読んでいます。
「羊と鋼の森」 宮下奈都 文藝春秋 借
これは以前、新聞で著者の記事を読んだ記憶があって、思い出したのでした。
ピアノの調律師の話で興味を持ちました。
でも、自分には合わなかった。
こんなに薄い小説は読んだことがない、というのが率直な感想です。
(以下、ネタばれ、辛口)
最近、女性作家の本を読んでいます。
「羊と鋼の森」 宮下奈都 文藝春秋 借
これは以前、新聞で著者の記事を読んだ記憶があって、思い出したのでした。
ピアノの調律師の話で興味を持ちました。
でも、自分には合わなかった。
こんなに薄い小説は読んだことがない、というのが率直な感想です。
(以下、ネタばれ、辛口)
主人公(男性)が高二の時、学校でピアノの調律に来た来客を、たまたま案内する。
ピアノの音色に魅せられ、調律師を目指す。調律師になって、当時の調律師がいる楽器店に就職する。これがわずか十数ページ。
調律する二時間余りの出来事で、(進行上)あっという間に調律師になってしまう。安易でびっくりしてしまった。
その後は、調律師としての仕事の話ばかりだが、これもどこまで読んでも文章がすらすら流れて頭に入ってこない。音の奥深さみたいな描写はあるのだが、全然心に響かない。
人物もエピソードも薄すぎて、浅すぎて、きれいすぎて、単調きわまりない。食事で言うと味も歯応えもなく、読むのが苦痛すら感じて、ほとんど流し読みになってしまった。
残ったのは、調律師の仕事を知ったことと、同僚の柳さんのことを恋人の濱野さんが話す件(わずか5ぺーじ)かな。でも、これも輪郭だけの描写で、その過程みたいなものがドラマだと思うのに、主人公の外村の心情も、調律師を目指したのは、ピアノの中に「ゆるされている、世界と調和している」という感覚を見つけたから、という「答え」の方ばかり(全編にわたって)、自分には入ってくる。
板鳥さんが憧れている音の比喩で、原民喜の小説の文体の話が出てくるが、この小説にあるのは「明るく静かに澄んで」「甘えている」の光の部分しかない。「きびしく深いもの」「現実のようにたしかな」というのは全然伝わってこなかった。(でも、その光の部分もわざとらしすぎて、軽すぎて)。
タイトルの「羊と鋼の森」はピアノのハンマーがフェルト(羊の毛)からできていて、弦が鋼、ということからのようだ。
柔らかいものと硬いもの、光と陰みたいな対照性で、人生そのものの比喩も入っている感じが見てとれるが、タイトルと内容が合っていない。(タイトルは深くて良いのに)
ある意味、残る小説でした。
ピアノの音色に魅せられ、調律師を目指す。調律師になって、当時の調律師がいる楽器店に就職する。これがわずか十数ページ。
調律する二時間余りの出来事で、(進行上)あっという間に調律師になってしまう。安易でびっくりしてしまった。
その後は、調律師としての仕事の話ばかりだが、これもどこまで読んでも文章がすらすら流れて頭に入ってこない。音の奥深さみたいな描写はあるのだが、全然心に響かない。
人物もエピソードも薄すぎて、浅すぎて、きれいすぎて、単調きわまりない。食事で言うと味も歯応えもなく、読むのが苦痛すら感じて、ほとんど流し読みになってしまった。
残ったのは、調律師の仕事を知ったことと、同僚の柳さんのことを恋人の濱野さんが話す件(わずか5ぺーじ)かな。でも、これも輪郭だけの描写で、その過程みたいなものがドラマだと思うのに、主人公の外村の心情も、調律師を目指したのは、ピアノの中に「ゆるされている、世界と調和している」という感覚を見つけたから、という「答え」の方ばかり(全編にわたって)、自分には入ってくる。
板鳥さんが憧れている音の比喩で、原民喜の小説の文体の話が出てくるが、この小説にあるのは「明るく静かに澄んで」「甘えている」の光の部分しかない。「きびしく深いもの」「現実のようにたしかな」というのは全然伝わってこなかった。(でも、その光の部分もわざとらしすぎて、軽すぎて)。
タイトルの「羊と鋼の森」はピアノのハンマーがフェルト(羊の毛)からできていて、弦が鋼、ということからのようだ。
柔らかいものと硬いもの、光と陰みたいな対照性で、人生そのものの比喩も入っている感じが見てとれるが、タイトルと内容が合っていない。(タイトルは深くて良いのに)
ある意味、残る小説でした。
同じ音楽もので本屋大賞、恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」も4か月前に図書館に予約を入れていますが、待ち人数が多く、まだ読めません。どんなものか興味が出てきました。
コメント 0