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ひきこもり ―自分の場合― その7 [ひきこもり 2]

久しぶりに自分の記録です。

自分の心の悲鳴に気づいた頃、1冊の本を見つけて買いました。
「アダルト・チルドレン完全理解」です。1996年発行で25年前で、当時はどれぐらい理解できていたかわからないが、自分にぴったりあてはまるようで、救いになったし、考え方を変えるきっかけになったのでした。

「アダルト・チルドレン」完全理解

「アダルト・チルドレン」完全理解

  • 作者: 信田 さよ子
  • 出版社/メーカー: 三五館
  • 発売日: 1996/07
  • メディア: 単行本


自分の気持ちを言っても全然理解してもらえないし、それでさらに動けなくなる堂々めぐりみたいで、はた目には、怠けて甘えてひきこもっているようにしか見えず、そう思われないため、ずっと無理をしていたのが、本当に動けなくなってしまいました。

「愛という名を借りて支配する」「周囲の期待どおりに生きていく」「正論の母」など、自分と重なることばかりで、ようやく自分のことを「知る」手がかりになりました。

会社で期待されることをするか、常識が期待することをするか、ということであって、基本は私のなかに判断基準があるのではなく、いつも周囲に判断基準があるということです。

これは前の記事で、人に言われた「自分がどう思うか」ということと同じです。

自分が自分として承認されることがあまりにも少なかった 人生を通して、ACは 自分で自分を承認することすらできないで生きてきました。それは彼らのしばしば口にする「居場所のなさ」の感覚、「生きていてもいいのだろうか」― という感覚とまったく重なるものなのです。

一番安全であるはずの親が自分をもっとも傷つけるという状況の中で生き延びてこなければならなかったのです。

感情も情緒も、正論の枠にはまるもの以外はすべて排除された生活も、彼女にとってひとつの虐待と言ってもいいものでした。

自分がだめだから、世間に合わせられるよう努力する。土台の「自分」というものを無視して、まるで逆のことをしていた気がしました。

自分で自分を承認すること。「常識」でなく「自分」に自分を合わせる。
「感情」というものの大切さ。「常識」より「感情」を軸にして動くこと。
「自分の感情」を取り戻すこと。
過去の心の傷をいやすこと。
「普通」でなくていい。
いい加減でいい。(「いい加減」というのは「良い加減」という言葉を後で知った。)


当時はそれほど明確でなかったと思うが、自分がしなければいけないこと、目標みたいなものがおぼろげに見えてきました。

20年近くしみついたものはなかなか抜けないが、職場が変わっただけで、接し方や扱われ方が違うと、以前と違う自分(本来の自分)が少しずつ出せるようになった。
いじめたり嫌味を言ったりする人も、実際ほとんどいなかった。

これは25年前だからできたけど、現代は社会自体が、自分の母のような正論がすべてみたいな窮屈さで、生きづらかったり、簡単に他人にあたる(傷つける)気がしてならないです。





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オリーブ

tomi_tomiさん、nice! ありがとうございます。

by オリーブ (2021-10-17 16:14) 

オリーブ

ハマコウさん、nice! ありがとうございます。
by オリーブ (2021-10-17 16:47) 

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