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「残念和食にもワケがある」 岩村暢子 著 [食事・健康]

久しぶりです。また珍しく料理の本です。

「残念和食にもワケがある  写真で見るニッポンの食卓の今」   岩村暢子


これは昨年、新聞でタイトルに興味を持って、借りて読みました。

「食DRIVE」調査という、1998年より約20年にわたる、首都圏に在住する家庭の食卓を調査した本です。
単なる「食事」や「食品」の調査ではなく、現代の家庭のあり方や家族の関係を明らかにすることを本来の目的にしている、という。
400世帯以上、1万5000枚以上の食卓写真から見えてくる、家庭の和食の実態、変容が書かれている。

残念和食にもワケがある - 写真で見るニッポンの食卓の今 (単行本)

残念和食にもワケがある - 写真で見るニッポンの食卓の今 (単行本)

  • 作者: 岩村 暢子
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2017/10/18
  • メディア: 単行本



食卓写真だけでも、見応え、読み応えがあった。
何となくは感じていたが、見出しタイトルから、びっくりすることの連続。もちろん全ての家庭というわけではないが、調査の中でも増えているというのが、危機感とかさみしさを感じてつらいところもあった。

白いご飯は味がないので苦手
「一汁三菜」って知らない
主食重ねの満足感
お子様用プレートで食べる大人たち 等

白いご飯はそのままだと味がないので、何かを混ぜたりかけたりする「味付きご飯」が夕食に出る割合が増えているという。
濃い味付けの加工食品に舌が慣れている、というのもあるが、食べ方の変化に原因があるのでは、と著者は言う。
あまり噛まない食べ方をするようになった。また、噛まなくても食べられる物を嗜好する人が増えた。

白いご飯はよく噛んでこそ甘味や旨みを感じるが、それを味わえなくなっている人が増えているというのは、やっぱり危機感を感じる。「食べること」という本能的な欲求さえ楽しめないというか、自分の身体を使わないみたいで。

主食重ねの満足感とか好きな物ばかり食べる、というのも、食べることにも「効率」や「楽なこと」を求めているように思える。

仕切りプレートで食べるというのは、家族と一緒にテーブルを囲んでも自分の皿にしか関心を示さない子どもを容認することを推し進めるというのは、納得してしまった。
大人がそれで食べるというのは、洗い物が楽だからで、子どもに食事の「別な楽しみ方」が、また次の世代へ伝わっていく。

時間がそろわない「孤食」というのも、もう慣れてしまって、家族そろって食べていても視線の先にあるのは「テレビ」というのが、何とも寂しい。

食事をするという生活の基本的な部分が、コミュニケーションや家族関係のあり方、生き方にもつながっている(影響している)ことを考えさせられました。
食事はお腹を満たすだけでなく、心も育むもので、一日三回、毎日の習慣は、侮れないと思いました。


少し関連した話ですが、今年初めの新聞に料理研究家、土井善晴さんの講演が載っていました。
「一汁一菜でいい」という提案です。

海外では大抵の人が、世界一おいしい料理は母親の料理と答えるそうです。レストランの料理より家庭料理の方が上にある。でも、日本人はどうか?

家庭料理は子どもらの居場所を作っている。家に帰るとご飯を作ってくれているって、何気ないことでも安心する。安心は自信につながる。自信は勇気になって、大きくなると責任や愛情になる。
一汁一菜を丁寧にするというのは暮らしを豊かにする、という言葉にとても共感しました。







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