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気力が限界になる  ―31歳― [ひきこもり]

前回の漫画の続きでアニメ「レディジョージィ」について書きたいのですが、その前に少し関連もあるので、ひきこもりの続きを書いておきます。

孤独を癒すため(自立のためも)、仕事以外にも活動を広げようとしました。
「点字ボランティアの養成講座」というものに参加しました。点字を覚えて紙に打つのですが、こつこつ地味な仕事は嫌いでないし(むしろぴったり)、少しでも心に引っかかってくるものは何でもやってみようと思ったのです。

でも、母は何もしないで遊んでいる、というようにしか思いません。
30才を過ぎても結婚もしないで、自立していないことを言葉の端々で責められる感じです。
母と少し話せるようになって、(母は)変わるかと思ったのですが、どう話しても私の言葉は母に通じないのでした。
「話し合うことなんて大嫌い」と言って口をきかなく、"ひきこもり"はむしろ母の方なのではと思いました。

父も同じです。私のことも、むしろ母を泣かせているように思って「娘なんて最初からいないものと思ったらいい」とか「勘当したらいい」というように母に言っていたのでした。

「自分がいったい何をしたというのだろう」
この家に居ること自体、もう限界になってきました。

その前後、仕事でも内容と時間帯を変更されてしまったのです。人手不足で、事務の雑用的なことから、パソコンで伝票入力になりました。
仕事はこちらの方が好きだし向いていたのですが、時間が夜間になりました。夕方4時ぐらいから、夜は遅い時は10時半ぐらいまで。その間、食事時間なしで、皆、合間にパンをかじる程度です。
家でちゃんとした食事をとり直します。(10時頃)
人によってはどうということないかもしれませんが、これがすごくつらいのです。
規則正しい食事は生活の基本、という考えがあります。自分が一番優先するものは何かということを思い出しました。
一時だけかもしれませんが、仕事に対する不安がまた、ぶり返してきました。(同時に将来的なことも)

いくらか話せるようになっても、家に居場所がないのは(以前よりひどい)何も変わらなかったのです。職業訓練で少し話せた人も、一通りの話をしたら(でも自分の根本は話していない)何だか満足してしまった感じがありました。
既婚者で話題や性格も違って、徐々に話すこと自体、またしんどくなってきたのです。
壁があるような、つながれない孤独を感じるようになりました。

いくらか自分が変われたと思った分、余計、無力感が大きかったかもしれません。
今度こそ生きる気力が限界になりつつありました。
好きだった漫画や宝塚さえ(やり尽くした感もあって)もう楽しめなくなったのです。





 


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